ボイラー破裂事故の経験に学ぶ

「安全と健康」誌、2010年6月1日発行

プロフィール

  • 教授 三上 喜貴 (みかみ よしき)

1975年東京大学工学部卒業。通商産業省入省。情報政策企画室長等を経て、1997年長岡技術科学大学教授。安全の制度設計に関する研究に従事。慶応義塾大学政策メディア研究科より博士号。

ボイラー破裂事故の経験に学ぶ

  • 小説に書かれた明治の蒸気機関破裂事故

 田山花袋(かたい)の「蒲団(ふとん)」(1907年発表)のー節に、東海道線の佐野(今の裾野)と御殿場間で起こった蒸気機関車の蒸気機関(ボイラー)破裂事故のことがでてくる。「凄(すさま)じい音がし(中略)機関が破裂して火夫が二人とか即死した」
 この小説は自然主義文学の誕生を宣言したともいわれる作品であり、物語は作者の実生活を赤裸々(せきらら)に描いたものだとされるが、事故についてはどうも創作のようだ1)。日本では、鉄道でも、工場でも、船舶でも、ボイラーの破裂事故はそれほど頻発しなかった。
 しかし、日本で破裂事故が少なかったのは、ボイラーがある程度完成されたころに工業化への道を歩み始めたからに過ぎない。これは幸運なことだったと言えるが、深刻なボイラー破裂事故の経験が先発工業国に生み落とした検査・保険事業について、真剣に学ぶ動機・機会を失うこととなった。

  • 第三者検査と保険事業の創設

 産業革命の中心都市、イギリスのマンチェスターでは、頻発する破裂事故への対策として、機械技術者協会会長の職にあったウィリアム・フェアバーンが音頭をとり、自分たちで雇った検査技師にボイラーの安全性を検査させ、基準をクリアしたボイラーのみ保険を付保するという仕組みを1854年に作り上げた。政府に頼らない、自律的な検査体制の誕生であった。
 南北戦争直後のアメリカでは、1865年、ミシシッピ川を運行する蒸気船でボイラーが破裂し、死者1,200人という史上最悪の事故が起こった。これを契機に翌年、保険産業の中心都市コネチカット州のハートフォードに、マンチェスターをモデルとして、蒸気ボイラーの検査保険会社が設立された。
 ドイツ(当時プロシア)は、後発工業国であったし、イギリスやアメリカと比べると安全に対する国家の関与は大きかったが、やはり蒸気機関を保有する事業者が集まり、1872年に蒸気ボイラー検査協会を作った(今日のTUVラインラント)。

  • 明治期の日本の選択と現代日本の課題

 明治期の日本が選択したのは、国や府県レベルの規則によるボイラーの安全管理であったが、それ以前に第三者検査や保険という仕組みの重要な役割に気付いた先駆者はいた2)。イギリスのグラスゴーに留学してしいた高山直質(なおもと)は保険会社の検査基準害を日本に送り、参考にしてほしいと訴えた。政府で船舶検査を担当していた原田虎三は政府を飛び出して「コンサルチング・エンヂニア」を名乗り、第三者検査業務を始めた。
 ボイラーに限らず、今後、安全のグローバル化を進める際には、技術基準の整合だけではなく、前述の先駆者たちのように、安全の制度設計の重要性も忘れてはならない。

1)明治34(1901)年7月13日に横川ー軽井沢問で起こった事故は状況が似ている。花袋はこれを参考にした可能性がある。
2)「安心安全社会を構想した明治の先覚者達」、生活安全ジャーナル(3)、81-86、2006年11月